復興の難しさ

1月1日の能登半島地震で被災された皆様に

お見舞いを申し上げます。

被災地域での救援活動が

まだ続く時期ではありますが、

復興に向けて考えるべきではないか

と思うことを記します。

不快に思われる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、どれほど不快でも

考えなければならないことが

あると信じて書きます。

【諦めてくださいと言われて】

過去を振り返ると

災害の被害が大きすぎる場合

「その土地で生活するのは諦めてください」

と行政から言われる可能性があります。

自分が被災者の立場であれば、納得できずに

不満を言いそうですが

立ち入り禁止区域に指定されてしまえば

個人ではどうにもならないでしょう。

「生まれ育った土地でこれからも生きていきたい

 というのは贅沢なことなんですか?

 わがままなんですか?」

などと言うと同情してもらえて

意見や要望が認められそうですが、

実際には認められないことも多いと思います。

「被災された方のおっしゃることは

 お気持ちの面からは

 もっともなことだと思います。

 しかし現実を見てください。

 被害の状況を見ますと

 この地域を復興するよりも

 別の地域に移って被災者の皆さんそれぞれの

 生活を復興する方が良いのではないでしょうか?

 公共の福祉の観点からもそう考えます。

 どうかご理解ください。」

行政の担当者にこんなことを

言われるかもしれません。

その時、当事者の反応は

どんなものになるでしょう。

地元で暮らす。移転は反対。という人も

いるでしょうが、

ぜひ移転したいと言う人がいるのも

自然なことかもしれませんよね。

【ずっとお父さんが嫌いだった】

移転してしまえば

仕事や地域の人間関係が無くなってしまう。

絆が失われる。

そう言って移転に反対する人がいます。

移転は仕方ないにしても

地域の関係を維持するために

集団移転を求める人もいます。

それは自然な感情で、

集団移転は

良い方法であることもあります。

しかし全員が望んでいる訳でもないんですよね。

ずっとこの職場が嫌いだったけど

転職先が無いから仕方なく留まっていた

という人がいるのは、理解できますよね?

それは地域社会についても同じで

家族の中でもあります。

録音録画といった証拠も無いし、

当事者に証言してもらうことも

出来ないんですが、

ある災害をきっかけに

家族の外に出て一人暮らしを

始めた女性がいました。

「ずっとお父さんが嫌いだった。

 震災は悲惨なことだったけど

 私には良いきっかけになった。」

家族ですら、絆といえるような

良い人間関係とは限らない実例です。

【未来にプラスになる復興】

1月1日の能登半島地震とは無関係な

別の地域の例ですが、

被災者が復興を望まないことが

あるようです。

「あの土地を出ることが出来て

 本当に良かった。

 もう戻る気はない。

 だから復興に興味はない。

 だけど、震災前と同じに

 なるんだったら

 復興なんかしない方が良いと思う。

 あの土地の人間関係は

 新しいものを拒み

 停滞を招くものだったから。

 あの人間関係を復活させるのは

 悪いことだと思う。」

極端な例だとは思いますが

こういう意見の人もいるのです。

証拠を出すことは出来ませんが

本当にいるのです。

こういう意見を聞くと

復興というのが

いかに難しく大変かがわかります。

能登の被災地の復興が

どういうものになるか

見当もつきませんが

過去にとらわれず

しっかり未来を見据えたものに

なることを祈ります。