映画『ゆきてかへらぬ』リア充の特権的不幸について

喜びにも

悲しみにも

不幸にも

豊かさがくっついている人たち。

つまりリア充。

そういう人たちの

特権的な美しい姿を見る映画が

『ゆきてかへらぬ』という作品だ。

リア充でなければ経験できない

特権的な不幸。

その、あまりのリア充ぶりに

観ていて苦しくなる人もいるだろう。

あらゆる人に絶賛される映画ではない。

客を選ぶ作品だ。

だからこそ

特権的な快感を与えてくれる作品

と言える。

この映画に感動したのなら、

あなたの人生は

悪いものじゃないということです。

実話をもとにした脚本であることが

信じられないような物語だが

不自然なバカバカしい話だと

思わせないのは演者の力だろう。

広瀬すず。

木戸大聖。

岡田将生。

この三人でなければ

これほど魅力的な作品に

ならなかったと思う。

もちろん衣装や美術、そして

照明と映像の技術もすばらしい。

しかしやはり演者だ。

生々しい美しさがあふれている。

一番驚いたのは岡田将生。

男の顔になっていた。

きっと、生まれつきの

性格とか人間性によるんだろうが

今までの岡田将生には

善良さ、人の好さを感じることが

常にあった。

どんな悪い役を演じていても

憎めなかった。

それは優れた点でもあるが

弱点でもあり、

「強い男」の役を演じるのは

難しい印象だった。

それが今作で変わった。

後半に、広瀬すずとの二人の場面で

暴力が出てくる。

見るのを不快に感じる人もいるだろう。

だがその場面の岡田将生の顔は

強さと怖さを感じさせる男の顔だ。

こんな顔ができるなら

織田信長を演じて欲しいと思った。

年上の男たちを圧倒できる

威圧感を手に入れていると思う。

彼は今年36歳になるそうだから

年齢的にも最適ではないだろうか?

今後が本当に楽しみな役者だ。

映画の中では開始から45分ほど

経過しないと登場せず、

中心人物の三人の中で一番

出番が少ないが、一番強烈な印象だった。

岡田将生が強烈な存在感を出して

いたのに対して

中原中也を演じた木戸大聖は

一番愛らしい姿を見せてくれた。

顔の美しさ、動きの華麗さ、

ひ弱さ。

それが中原の天才を支えていたんだと

思わせる説得力のある演技だった。

劇中での中原の詩の扱い方について

いろんな意見が出そうな予感がしたが

それでも木戸大聖の力で

悪い印象は受けなかった。

そして主演の広瀬すず。

今までで一番、エロチックな姿。

これこそが本物のリア充だと

思い知らされるほど、

特権的に美しい。

悲しい出来事も

苦しい経験も

彼女が演じると

魅力的なものに見えてしまう

魔法を身につけている。

引っ越しの場面とか

時計の場面などは普通、

魅力的に見えない。

あえて観客に

マイナスの感情を起こさせるために

演出される場面だろう。

そんな場面でも

この作品での広瀬すずは

圧倒的に美しい。

ダンスの場面などはもう

無敵な感じだった。

意見が分かれるのは

入浴の場面と

岡田将生との性交場面だろう。

この作品の撮り方こそ正解だと

いうのも理解できる。

反対にもっとやるべきだった、

限界までやるべきだったし、

今作のように芸術性が高い作品なら

限界を広げるチャンスだったんだから

もったいなかったという意見も

理解できる。

映画業界も含めて

表現の世界は性的なトラブルが多すぎた。

だが性的な表現の重要性は高まっている。

今作でもその点は重要な要素だったろう。

今作の性的な場面に

間違いなく価値はあったが、

最善だったろうか?

そういったあたりは

次の時代の作品を作る人を

強く触発すると思う。

私も触発された。

そして連想したのは

ボリス・ヴィアンの作品と

岡崎京子さんのことだ。

実写では難しい部分を

岡崎さんの筆で漫画化したものを

観たいと思った。

若い人たちは

何のことか分からないかもしれない。

だったら

岡崎京子さんの作品と

ボリス・ヴィアンの作品を

ひとつで良いから読んでみてほしい。

『ゆきてかへらぬ』が好きになった人なら

必ず魅力を感じると思うから。

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以上、Takayuki Uchiyamaが

観て感じた

映画『ゆきてかへらぬ』のレビューでした。