誰かに不幸を押しつけることを政治と呼ぶ人々
忍耐。忍耐。忍耐。
毎日、小さな声でそう呟いて
仕事を始めます。
冷静さを失わないために、
視野が狭くならないように
するために、そうしています。
仕事は大変なうえに
予想外の不幸に見舞われることも
珍しくなく、
一歩間違うと感情に振り回されて
破滅的な失敗を招く可能性が
あるのです。
自由なのか自由でないのか
それもよく分からなくなる
苦しい日々。
そういう日々に疲れた時に
寄り添ってくれるのが
遠藤周作の小説『侍』です。
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●自分の気持ちを全て殺して
日本人にとっての信仰であるとか、
人生における信仰の意味といった
ことがテーマであると論評されることの
多い、小説『侍』。
確かにそうなのでしょうが、
私には
他人からの命令に従い続けた男と
自分の好きなように生きた男、
二人の男の人生それぞれの
悲惨さから浮かび上がる
人間の業と言えるものも
テーマだと思えます。
一人目の男は
他人からの命令に従い続けた男です。
自分の気持ちを全て殺して
命令に従い行動する男。
その悲惨さは共感できる人が
多い事でしょう。
そしてもう一人の男は
自分の好きなように生きた男です。
自分のなりたい職につき、
行きたい場所に行き、
やりたいことをやった男。
羨ましいような人生だと
普通は思いますよね?
それほど好きなように
生きたのなら
貧しくなり
苦しんで死んでも
幸せな人生だと思うでしょう。
ところが
そう思えなくなるような出来事を
遠藤周作は書くのです。
●君の自由が誰かを不幸にしている
「君は自分がやりたいように
自由に行動した。
やる必要のないことをやった。
その君の行動のために
彼は死刑になったよ。」
人間の行動は恐ろしいもので
連鎖し次々に影響を与え、
思わぬ事態を引き起こすことがあります。
自分の行動で
どれほど苦しいことになっても
自分だけのことなら
何も悲惨ではありません。
しかし誰かを巻き込むとしたら
どうでしょう?
自由に好きなことをすることを
肯定できるでしょうか?
●人を閉じ込めようとする何か
「お前が自由に行動した結果、
多くの人が不幸になったら、
責任とれるのか?」
そんなことを言われたら
動けなくなる人は多いでしょう。
子供が不幸になる、
家族が不幸になるから
動かないでおこうというのは
当然かもしれません。
そういう人の心の動きを利用して
人の動きを封じて閉じ込めようとする
何かが人間の世界にはありますよね。
その何かは、偉い人という訳では
ないのです。
自由がないと
偉い人が犠牲になることもあります。
●誰かに不幸を押し付けること
たった一人の偉い人、
独裁者のような人が
自由を奪い、人を不幸にしている
ように見えることがあります。
しかしよく見ると
偉い人にも自由はなく
閉じ込められているんです。
現状の責任を一人で負わねばなりません。
恨みも憎しみも、偉い人一人に集まります。
そこから逃げる自由はありません。
逃げればあっという間に
恨みと憎しみの犠牲者になるでしょう。
見方によっては
偉い人であることの不幸を
押し付けられているといえるでしょう。
偉い人も辛い立場なのです。
人は一人では生きていけないから
集団になるわけですが、
集団になると不幸が生まれます。
その不幸をどうするか?
それが政治というものなのかもしれません。
ある人は
誰かに不幸を押し付けることが
政治であり
組織マネジメントの本質だ。
そうしなければ
人の集団を守り、発展させることは
出来ない。
国家も企業も家庭も
そうなのだと
真剣な顔で言っていました。
組織マネジメント。
ごく最近のことです。
そんなことを考えさせてくれる
小説『侍』は奥の深い凄い作品です。
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